【FF14】過去の過ちの継承の物語(暁月のフィナーレ感想その2)

※本稿には暁月の終焉ENDWALKERのストーリーに触れる部分が多くあります。未プレイ、未クリアの方は閲覧に十分ご注意ください。







暁月のフィナーレが持つ物語の完結以上の意味

FF14暁月のフィナーレのメインシナリオは、「新生」から続いたハイデリン・ゾディアークの物語を希望と絶望の闘いとして結実させた。それは10年に渡る冒険で出会ったキャラクター、事件、世界設定の伏線を丁寧に回収した。同時に、長く続くパンデミックで疲弊する私たちに対して、前向きなメッセージを含む、非常に完成度の高いシナリオであった。MMORPGに新たな歴史を刻んだといっても過言では無い。
その感想については2022年1月頃に書いた。

【FF14】暁月のフィナーレの感想_ゲーム体験と現代的ニヒリズム - 遊びと人間


一方でインターネット上の感想を見ていると、ストーリーに対しては様々な疑問を感じる人もいるようだ。
例えばアーテリスのみならず宇宙の全域を揺るがした「世界の終焉」だが、その原因は一人の感情的不安、要するにメーティオンの「メンヘラ」によるものではないか、という感想だ。
また今回のメインストーリーを終わらせたところで、なぜだかモチベーションが下がり、しばらくFF14をやる気が起きなくなってしまった、というプレイヤーもいたようだ。

言うまでも無く、ストーリーを丁寧に追ってきたプレイヤーにとっては、メーティオン一人が終焉の原因であるという、単純な物語では無かったことはすぐに分かる。

しかし、メーティオンやヘルメスらのキャラクターの印象は確かに大きく、彼らに強く感情移入するプレイヤーがいてもおかしくはない。

暁月のフィナーレには、ストーリー上の大きな終着点あるという以上に、FF14の歴史にとって重要な別のテーマが隠れているようにも思われる。
ところが、キャラクターの魅力を中心に描かれるカットシーンや、一人称を軸とするゲーム体験、また複雑な設定を台詞を中心に説明する演出方針により、テーマが見え辛くなっているのも確かだ。
いわば、キャラクター性の強さによってテーマが隠れている。

今回は、それらがゲーム体験としてプレイヤーに伝わりづらかったであろう2つの要因に触れつつ、暁月のフィナーレがFF14の歴史にとって重要なテーマを持っていただろうことを示したい。

その要因とは、メッセージテキストの多さと、一人称視点のゲーム体験だ。


シリーズ最大のボリュームとメッセージテキストの多さ

暁月の魅力でもあり、ストーリーをやや冗談にしている要因の一つがシナリオ中のメッセージの分量だろう。
第65回PLL(2021年7月10日)では、暁月のフィナーレのストーリーボリュームは過去最大であり、収録したキャラクターボイスの量は漆黒ヴィランズの1.3倍であると言及された。
私の場合、漆黒ヴィランズ(パッチ5.0)でシナリオのみに費やした時間はおよそ45時間前後であった。一方、暁月のフィナーレ(パッチ)ではシナリオクリアまで約50時間前後かかった。新生エオルエア(2.0)から暁月(6.0)までの5つのメインシナリオだけでも、ゆうに300時間を超えることになる。
そして、共に冒険をする暁の仲間は7人となり、クエスト間でのヒントトークにも本編では語られなかったキャラクターたちの行く末など触れられている。こうしたサイドストーリも楽しもうとすれば、暁月だけでもさらに数時間はかかる。
入れ替わりや舞台の移り変わりはあるとはいえ、同じ仲間たちとの冒険が300時間超に上るゲームシナリオというのは、他に類を見ないのではないだろうか。

これは、世界観や状況、作中の設定など、ほとんどすべてをキャラクターのセリフで説明する所にも要因があるだろう。
漫画であれば絵や公図、アニメであれば画や動き、映画であれば役者の演技や映像など、言葉とは違う手段でも表現をすることができる。
しかし、FF14はPS4やPS5、windowsやMacなど様々な環境でのプレイヤーに配慮しているため、グラフィックのアップグレードには慎重である。そのため、キャラクターの表情やオブジェクトの質感での表現にはまだ限界がある。
結果として、伝統的なRPGの用に会話テキストに頼らざるを得ない状況もあるのだろう。

仲間との同行、ゲーム内の会話やサブクエストなど、長く楽しんでもらいたいという開発のサービス精神は随所に感じられる。その一方で、本作から登場したデュナミスやアーカーシャ等の重要設定や、ヘルメスとファダニエルの関係性については、テキストだけではうまくイメージができず混乱したままのプレイヤーもいることだろう。

一人称視点の功罪

またストーリーは原則として主人公の一人称視点で物語が進んでいく。これはゲームの没入感を高める一方で、他者の視点を取り入れにくくなるという演出上の功罪がある。

例えば最大の事件である「終末」についても、事の発端から取り得る選択とその結末まで、主人公はすべてを自身の身で体験する。旅には暁の仲間たちも同行するが、物語の行く末を決定する大事な場面では必ず背中を押す役割に留まり、何かある毎に主人公が現場を見に行くことになる。

この手法が演出として最も効果的であったのはエルピスだろう。
主人公は、終末の発端となった事件をエメトセルクらと丁寧に追跡し、過去に起きた終末発生の真実を体験することになる。しかし共に事件を目の当たりにしたはずのエメトセルクらは、ヘルメスの企てにより記憶を失ってしまう。
この一件により、主人公=私たちは、漆黒のヴィランズでエメトセルクらが主人公に対して度々感じていた違和感の正体を知る。同時に、彼らと過ごした時間を「忘れて」、唯一真実を共有する戦友を討ってしまったやるせなさと虚しさを、まるで自分自身のことのように感じる。

この虚しさを抱えつつも、終末を止めるために歩みを止めざるを得ない光の戦士、そしてヴェーネスの姿は、英雄的で感動的である。

一人称視点を存分に生かした素晴らしい展開であったと思う。

反面、視点上の制約もある。
基本的に主人公が遭遇した事件以外は「知らない」ものとして扱われるため、全体像を把握しようとすると状況説明が多くなる。
例えば、暁のメンバーがしばらくぶりに合流する場合、「今まで俺(私)は~で~をしていてな…」という風な説明がしばらく続くのはおなじみだろう。

他者の視点を伝聞でしか情報収集できないため、自分以外のキャラクターへの感情移入が難しくなるのは、一人称視点の弱点ともいえる。

ウルティマトゥーレでの説得力

この傾向が最も強く出ていたのは、6.0最終フィールドであるウルティマトゥーレと思われる。*1
そこで彼らは、かつてメーティオンらが観測した星々の生命らと出会う。彼ら皆、様々な理由で自分たちの生に絶望し、生きることを諦め緩やかな死を望んでいる。
デュナミスが満ちるウルティマトゥーレは、彼らの絶望により生物が住める環境ではなくなってしまっている。

暁のメンバーたちは、彼らと対話する度に一人また一人と肉体を失うが、デュナミスの力を利用することで先へ進む道が作り上げていく。*2
一人になった思われた主人公だが、最後に待ち受けていた存在の絶望との対話、そして託されたクリスタルの力により、肉体を取り戻した暁の仲間たちが召喚され、8人で戦いへ臨むことになる。

非常にドラマチックな展開である一方、物語の進行上の都合を感じてしまう部分でもあるだろう。

なぜならば、ウルティマトゥーレで出会う者らが絶望に至った経験の過程、彼らの精神の変化という2つ重要な要素がセリフでしか説明されないからだ。

主人公の視点では、彼らが経験して生きた喜びや悲しみ、生を諦める結論に至るまでの長い道のりが、彼らの視点によるダイジェストとしてしか現れない。そのため、突然現れて自分たちの都合を一方的に語られているかのように感じてしまう。

彼らへの理解が一面的なため、暁の仲間達とのやりとりも、双方的対話と言うよりは一方通行な主張のぶつけ合いに聞こえてしまう。

ウルティマトゥーレは、「想いを具現化するエネルギー」デュナミスで満たされた空間だ。ウルティマが人間の住める環境で無くなったのは、そこに住む者たちが強い絶望を抱えているからだろう。
したがって、絶望を謳う者への道が開かれていく過程は、彼らの絶望の一つ一つを紐解いていく闘いに他ならない。

しかし、デュナミスに対する理解と、絶望する彼らへの共感がうまく働かないと、ただキャラクターが消えて道ができるだけの「ご都合主義」的展開に見えてしまいかねない。
それは非常に惜しい点であったと思う。彼らの歩んだ歴史などもう少し他者の視点を取り入れる余地があれば、より没入感が深まったのではないだろうか。

 

キャラクター性を重視した演出方針

最大の山場であるメーティオンと相対した際は、過去の伏線も加えた様々な演出も加えられる。
ほとんどの力を失ったにも関わらず、残された魔力で逆転を果たしたエメトセルクとヒュトロダエウス、最後の闘いに駆けつけた暁のメンバー達、それまで宇宙の終焉を淡々と語ってきたメーティオンが見せた感情的で悲しい言葉など、キャラクターの見せ場が次々と展開され、物語の盛り上がりは最高潮へ達する。

この後も驚きと感動を畳みかける展開が続き、最後までプレイヤーを飽きさせない演出は見事だ。
その一方で、メーティオンの真意を見破り、終焉へ至る道を切り開いたきっかけについては、希望があることを論理的に「証明」するという形で表現される。
画面的な華やかさも強い場面ではあるが、この展開を理解するにもエルピスの花とデュナミスの仕様、そしてアゼムのクリスタルの召喚能力など、これまでの重要設定の全ての知識が必要でもある。
それらの理解が不十分だと、突然の展開について行けなくなってしまう者もいるだろう。

公式サイトのLodestoneで各編の「秘話」が公開されている。いずれ暁月についても秘話が追加されるだろう。また、過去のメインシナリオを再プレイする「強くてニューゲーム」というシステムも用意されている。これらを参照しつつ、プレイヤーが各自ストーリーの補完を図れば、初見プレイ時によく分からなかった所も後からより楽しむことができる。
しかし秘話が公開されるまでは時間がかかるし、強くてニューゲームも、前出のテキスト量のボリュームを考えると、安易にリプレイするのを躊躇うプレイヤーもいるだろう。

シナリオの進行の中で自然に設定を復習できる形とならなかったのは残念である。

こうした傾向は、重要な設定の整合性の説明よりも、キャラクターを中心とした冒険劇としての見せ方を重視するという演出方針によるものだろう。その結果、エンディングに向けて大きな感動が高まる一方で、所々の展開が腑に落ちなくなってしまった。

これはゲームのみならず漫画や小説、映画にとっても非常に難しいバランス感覚でもあるだろう。整合性を重視した結果物語が説明的になってしまえば、感情移入ができず退屈になる可能性も十分にある。
いずれにせよ暁月のシナリオの最終局面は、設定説明よりもキャラクター性を重視しているのは確かだろう。声優陣の熱演が素晴らしかったのもあり、最後の最後で設定が置き去りにされてしまった。

その結果として、メーティオンが観測中に絶望を強く感じすぎてしまったことが終末を引き起こした原因であり、彼女の絶望した精神の化身を倒せば終末が止まるかのような描写になってしまった。彼女個人の弱さが主たる原因かのように捉えられてしまうのは、こうした所に要因があるだろう。

しかし、ここで終焉の原因をメーティオンというキャラクター性に還元してしまうと、ゾディアーク・ハイデリン物語に隠れた、FF14のもう一つのテーマを見失ってしまう。これは非常に残念なことだと思う。

メーティオンの役割と人格の二重性

実際には、メーティオンには宇宙の観測及び裁定者としての機能的役割を付与されていたが、ヘルメスとの会話する中で人間のような感情的・人格的側面が育まれていた。
宇宙の終焉を望んだのは観測・裁定としての機能であり、人格的メーティオンの感情は必ずしもそれを望んでいたわけではなかった。同時に、育ての親とも言えるヘルメスを苦しめたくないという思いやりから、星々の観測結果とそれに対する価値判断を報告することを控えてしまった。
彼女の苦しみの本質は、この機能と感情の分裂に由来するものだ。*3

このように考えると、終焉を引き起こした原因をメーティオンのみへ帰することはできない。

古代人らは、機械的な観測機能と有機体的な感情を一人(一つ)の個体に同居させておきながら、その葛藤に気付きケアをすることができなかった。
これはヘルメスの悩みについても同様である。彼が自分の役目と生命への同情について葛藤しているとき、それを共に考えどうしたら矛盾を解決できるかについて言葉を発する者はいなかった。
葛藤があるならば仕事を変えればよいし、同情すべき生命がいても問題が起きる前に処分すれば良いというのが古代人の基本的な考え方であった。
そこには、葛藤しつつ生命を存続させるという中間的妥協案が入る余地がなかった。

また、観測と裁定の権限を同一の個体に持たせることに危険性を認めていなかったのも大きな問題だろう。この場合、観測者が恣意的な裁定を下した際にその結論について抗弁や検討をする余地が失われる。
近代以降の民主主義社会では、こうしたあり方は権力の独占であり、独裁社会へ通じるものとして危険視され、さまざまな予防措置が講じられる。市民の革命権、裁判官・検察・弁護人の独立、違憲審査等である。

18世紀以降の近代刑法や憲法についての基本原理であるが、彼らはこのリスクを十分に認識していたとは言えない。
もし自覚していれば、メーティオンの数体には観測者の役割のみを与え、デュナミスの利用は別の個体に預け、相互に牽制し合う関係を作っていただろう。あるいは、メーティオンがデュナミスを行使するにはメーティオン全固体と12人委員会数名の同意が必要である、といった防止策を巡らせていただろう。

古代人たちはなぜ、こうした基本的な防御策を講じることがきなかったのだろうか。

完全な古代人による未完成な社会という矛盾

それは彼らの知性や精神があまりにも安定しすぎていたためだ。
生物の生死の概念を超克し、死に怯えることもない。自然を支配し、財産を独占することなく共有する。十分な余暇を持ち、問題があれば古代人同士の公平な議論によって結論を出す。天敵となる存在も無く、差別や戦争も無いようだ。
自分たちを脅かす存在もなく、また心に葛藤や悩みを持つような者も居ない。

いわば、弱者を前提とした社会制度や仕組みを確立する必要が無かった。そのために、メーティオンの異変に気がつく者がヘルメスしかいなかったのだろう。

この古代人の社会の対極に位置するのが、エオルゼアとガレマールだ。

ここではアルフィノとアリゼーと共に経験したガレマールの顛末が思いだされる。
エオルゼア連盟からみれば侵略者であったガレマール帝国の内実は、資源が不足し侵略で補う他無い、末期状態であった。暁月で描かれたガレマールの人々は、古い価値観や過去の栄光に囚わており、最後まで対話のテーブルに着くことができなかった。

しかし、ガレマールの人々を愚かだと決めつけることはできない。エオルゼアも同様に、コボルトやサハギン等の多種族を「蛮族」として認定し三国によって支配していた。エオルゼア諸国が協力体制を持てたのは「帝国」や「蛮神」という共通の敵を設定したからでもある。帝国という敵がいなければ、彼らはいつまでも内部の弱小蛮族への略奪から目を背け続けていたかも知れない。

いわば、ガレマールとの戦争を通じて、初めて自分たちの愚かさを反省する機会に恵まれたと言える。ここに至るまで多くの生命が失われ、体の自由を失った者たちもいるはずだ。
このようなエオルゼアとガレマールの顛末を見てきたアルフィノとアリゼーだからこそ、過去の失敗を繰り返さない新しい社会に対して真剣になるのだろう……。

ここでもう一度、古代人が終焉に至った原因は何かという疑問に戻ろう。

海へ還ったエメトセルクであれば、それは自分たちの力と知性を信頼しすぎた古代人の完全性と傲慢と答えるかも知れない。
エオルゼアの人々のように、お互いを殺し合い、自ら死を選ぶほど愚かでは無かったが故に、ヘルメスやメーティオンが抱いた心の矛盾に気がつくことができなかった。エルピスのシステムに、心の迷いがある人間が携わった場合何が起こるのかといった、「もしも」の仕組みを取り入れることができなかった。

ここには完成された知性を持つ古代人と、失敗を繰り返す愚かな人々との対比がある。過ちを繰り返してきたエオルゼアであれば、終末が起きる前に、愚かで弱い人々を前提とした社会の制度やあり方を描くことができるのかもしれない。

古代人である彼らは、完成されていた故に未熟であったのだ。
そして現代のエオルゼアは、争いが絶えず奪い合いを続ける不完全な社会であるからこそ、弱い人を前提とした新しい社会への一歩を踏み出すことができたのだ。

過去の過ちを未来へ継承する物語

ゾディアーク・ハイデリンの物語とは、古代の人間達が犯した過ちを未来の人間たちがどのように引き受けていくかという、歴史反省的なテーマが隠れていることが分かる。

そしてこのテーマは、旧FF14がパッチ2.0で新生エオルゼアとして生まれ変わり現在に至っているという、FF14の歴史そのものであることにも気付かされる。

そうであれば、暁月のフィナーレとは、プレイヤーの期待に応えることができなかった旧FF14の失敗を忘れること無く、あたらしい物語と世界を作り続けた開発陣とプレイヤー達の終着点であったといえる。

過去の2010年にサービスが始まり、わずかな期間で終了してしまったFF14を忘れていけない。そこにできた世界を安易に消費し、無かったことにしてはいけない。それを新しい物語として再生させたのは、諦めずに開発を続けた開発陣と、それを見捨てずにここまでついてきたプレイヤー達の歩みだーそんな声が、クリスタルを通じて聞こえてくるように思う。

「旧世界の生まれ変わりの物語」、これが本作の真のテーマである。それがここでの結論である。

果たして、アーテリス、エオルゼア、暁をはじめとするキャラクター達も、世界の終焉を乗り越え、新しい物語へと一歩を踏み出し始めた。
エオルゼアを生きる新たな世代であるアルフィノ達が、過去の過ちをどのように未来につなげていくことができるのか、それはまだ始まったばかりだ。真価が問われるのはこれからなのかもしれない。patch6.1からは新しい物語が始まる。FF14を作り続ける開発人にとっても、それは同じなのかも知れない。

しかし、新しい物語の始まりに残されてしまった者たちもいる。
次回はこのテーマに関して、「暁月のフィナーレのメインシナリオをクリアした後にモチベーションが下がってしまうのはなぜか」という疑問から考えてみたいと思う。

 

 

 


参考
01 Final Fantasy Wiki、https://finalfantasy.fandom.com/wiki/Dynamis_(Final_Fantasy_XIV)
02 FF14 Online Wiki、https://ff14wiki.info/
03 モンテスキュー (著), 野田 良之 (翻訳).1989.『法の精神』:岩波書店.
04 旧FF14、いわゆる根性版についてはhttps://www.4gamer.net/games/092/G009287/20101112024/など

*1:ウルティマトゥーレの設定等については以下を参照。https://ff14wiki.info/?%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%83%BB%E5%9B%BD%E5%90%8D/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AC

*2:暁月より出現したキーワード、デュナミスについては次のサイトが詳しい。本来デュナミスを使用できないエリディプスが特殊な条件下で利用した経緯についてなど触れられている。Final Fantasy Wiki、https://finalfantasy.fandom.com/wiki/Dynamis_(Final_Fantasy_XIV)
英語版のため必要に応じて翻訳サイト等を利用すると良い

*3:メーティオンの出生や初期の役割についてはhttps://finalfantasy.fandom.com/wiki/Meteionhttps://ff14wiki.info/?NPC%E3%83%BB%E7%B5%84%E7%B9%94/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%B3

【FF14】新生エオルゼアから漆黒のヴィランズまでの感想2_蒼天のイシュガルド

前段

前回感想 新生エオルゼア

www.takeyuka.xyz

漆黒のヴィランズShadowbringersのメインシナリオが一段落したことに伴い、各大型アップデートの感想を上げている。

今回は蒼天のイシュガルドHeavensward。本作はFF14新生エオルゼアの初の拡張ディスクとして2015年6月に発売された。
2021年9月現在では、最新拡張パッケージを購入すれば自動的にメインクエスト群やコンテンツが解放されるため、本作のみを購入する必要はない。また無料体験版フリートライアルでは、蒼天のイシュガルドをクリアするまでのメインクエスト、各種コンテンツの一部を楽しむことができる。

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※各シナリオについてネタバレに触れる可能性があります。未クリアの方はご注意ください。



失意からの再起、竜詩戦争

「暁の血盟」は、謀略によって輝きを失い乱離した。
そして、堕ちた英雄は、追われるように北を目指す。
北方の地「クルザス」──
盟友に助けられたあなたは、固く閉ざされていた皇都「イシュガルド」の門を開く。
ドラゴン族との果てなき戦いを続ける千年の都で、冒険者を待つ試練とは……。
汝の旅に幸あれ。
冒険者に、再びクリスタルの導きあらんことを……。

ファイナルファンタジーXIV: 蒼天のイシュガルド


各国の協力の基、帝国やアシエンらの陰謀を打ち砕いたかに見えた暁の血盟と主人公だったが、三国を巡る謀略に巻き込まれ一転終われる身となる。
行き場を失った彼らを受け入れてくれたイシュガルドのフォルタン家の元で暁の血盟の再起を図ると共に、イシュガルドで千年続く竜詩戦争の歴史の真実を知ることになる。


キャラクター、テーマ、音楽が見事に調和した魅力的なメインシナリオ

世界観を広げる空をモチーフにした美しいエリア群、逆境からの成長を基調とした物語で背景と魅力を深掘りされていく暁の血盟たち、荘厳な宗教国家に隠された歴史を巡るサスペンス、そして人間と竜という異種族間における復讐と融和の歩みなど、複数のプロットと対立軸が交差しながら進むストーリーは奥行きがあり、「新生エオルゼア」から格段の前身が随所に見られる。

特に、脇を固めるキャラクターたちが素晴らしい。失意の光の戦士らを暖かく受け入れたオルシュファンとフォルタン家、若くして国と自身の運命を背負うアイメリク、言葉は辛辣でも兄のようにアルフィノを見守るエスティニアン、理想と現実の狭間で為すべきことを探すイゼル等々、脇を固める役者それぞれ魅力があり、厚みのある物語となっていた。
イシュガルドと敵対する竜たちも一枚岩ではなく、傲慢、不遜、慈愛等様々な感情を持ち、生きる年月と持てる力の違いから生まれる人間との歴史認識の差は、物語の哀しみに深みを与えている。

これらのシナリオに伴奏するBGMも荘厳かつ壮大で、宗教と歴史をテーマとしたプロットに説得力を持たせていた。

FF14のシナリオの中でも完成度に優れ、拡張パッケージにおけるシナリオのうち、本作を最も推すプレイヤーも多いのではないだろうか。

新生エオルゼアから進化した様々な工夫

個人的に「新生エオルゼア」では世界観の説明が重視されており、解説的意味合いを含んだクエストが目立ったように思う。
蒼天では、光の戦士たちは地位や名誉を失墜し、国家の後ろ盾や仲間の協力も得られない亡命者として舞台が幕を開ける。クエストには光の戦士と暁の血盟の再起の物語として意味が与えられ、メインシナリオを進める楽しみへとつながっている。
とりわけ大きな挫折を味わったのはアルフィノであり、彼の成長は後の「暁月のフィナーレ」ラストへと至る重大な最後の鍵となる。信頼できる仲間と掲げた理想を守るため、周囲の意見を聞き、態度を少しずつ変化させていく彼と、その様子を見守るエスティニアンの姿はとても好感が持てる。

新生において暁の血盟はエオルゼアに元々存在した組織であり、光の戦士はそこへ後から加わった存在である。ルイゾワの意思やシャーレアンでの学びを共有する旧メンバーとは、背景が違うためどこか「客人」的立場であったように思う。
しかし本作では、アルフィノ光の戦士はと共に仲間を一人ずつ探しだして行く。この過程において、光の戦士は真の意味で暁の血盟となったように思う。

FF14において、感情移入しながら応援できる本当の意味での「キャラクター」たちを生み出したのは本作と言える。この点は本作の最大の功績に違いない。


コンテンツの評価

新たなジョブとして暗黒騎士、占星術師、機工士が解放される。三闘神をはじめとした極蛮神、24人アライアンスレイドのシャドウ・オブ・マハシリーズ、初の8人レイドである機工城アレキサンダーが解放されるなど、バトルコンテンツも充実している。ギャザラー・クラフターではお得意様取引シロ・アリアポーが解放され、クラスクエスト以外のレベリング手段も充実する。

Tankロールで遊ぶプレイヤーは、IDのコンセプトが変化したことに気づくだろう。
「新生」のダンジョンは分かれ道が多く、宝箱の配置やダンジョン中のギミックが複雑だった。敵を避けるにはどのルートを選べばいいのか、分かれ道の先には何があるのか等、探索を楽しむためのダンジョンという作りだった。その反面、先導役のTankはあらかじめマップのルートを予習する必要が生じるなど、新規のプレイヤーにとってはやや敷居が高かったかもしれない。

「蒼天」以降のダンジョンは基本的に一本道となり、その分道中のボスのギミックが多彩になった。初めてのダンジョンだからと初心者が挫折しないような工夫と思われる。この傾向は以降の紅蓮のリベレーター、漆黒のヴィランズにも受け継がれ、暁月のフィナーレにおいては修正パッチで変化した各ジョブのスキルを練習できるようなポイントもできた。
バトルコンテンツのデザインが試行錯誤されているのだろう。

極蛮神や機工城アレキサンダーでは、その後FF14で定番となる「頭割り」、塔ギミック、炎・氷等デバフによるグループ分担などが見られるようになる。紅蓮や漆黒で見られるボスごとの特殊フィールドを利用するような派手なギミックはまだ見られない一方で、タイムラインの記憶と正確な動きを全員で行うという地道な練習が必要になる戦いが多かったように思う。

この点については、アレキサンダー起動編:零式の実装当初、3層クリア者が292人、4層クリア者がなんと0人だったという伝説もある。
2022年1月パッチ6.05現在、万魔殿パンデモニウム:辺獄変の零式を実装15時間でクリアしたチームがいることを考えると、バトルコンテンツの難易度調整がいかに難しいことかが分かる。

dengekionline.com

 

総評 新規の間口を広げ、既存の遊びを深めた秀作

このように「蒼天のイシュガルド」は、重厚なメインシナリオの面白さに加え、「新生」などで懸念されていたプレイ面での課題を調整し、新規のプレイヤーはより参加しやすく、既存プレイヤーはより深く遊べるよう改良された秀作である。

一方で、「新生」でも言われていた「お使いクエスト」の存在は残っており、テンポ良く物語を進めたいプレイヤーにとっては気になるところだろう。また、2022年現在では先行プレイヤーとの装備・練度格差が大きく、8人レイドを実装当初のように楽しむにはPT募集が必要である点も変わらない(コンテンツファインダーで突入すると、カットシーン閲覧中に戦闘が後半まで進んでしまっていると言うことも……)。
新規ジョブである占星術師はエオルゼア12神を模したカードを利用して戦うHealerであるが、6.0を含めて複数の大型アップデートがあり、操作感がいまだ安定してないと見る向きもある。

このように、MMORPGで避けて通ることができない課題はあるものの、開発スタッフがフォーラム等の意見を聞き取りながら日夜改善に取り組んでいるであろう工夫も、それ以上に感じられる。
上記の短所も、本作の魅力を落とすものではないだろう。
気になっている方は是非プレイしてほしい。

2021年11月まで、無料トライアルとして本作を購入していないプレイヤーでも蒼天のイシュガルドクリアまでゲームを楽しむことができた。しかし、2022年1月12日現在では、暁月のフィナーレリリース直後にプレイヤー人口が大幅な増加したことから、無料トライアルは一時中断されている。

コロナ禍の半導体不足等の問題が片付くに連れ、いずれまた無料トライアルで楽しむことができる日がくるだろう。

 

 

 

【FF14】暁月のフィナーレの感想_ゲーム体験と現代的ニヒリズム

FinalFantasyXIVの拡張パッケージ「暁月の終焉」ENDWALKERの発売からおよそ1か月、スクウェア・エニックスの公式Twitterよりメインストーリーの感想を歓迎するツイートがなされた。


本作は歴代の拡張パッケージの中でもメインシナリオには特に力が入れられており、「新生エオルゼア」から続く一連の物語の完結編とも言える内容でった。そのため、未クリア者が自身のプレイ前にストーリーを目にしてしまわないように、SNS等を通じた「ネタバレ配慮」が公式からもアナウンスされていた。
上記のtweetは事実上の公式ネタバレ解禁と見なせる。

今回は暁月の終焉ENDWALKERのメインシナリオの感想を述べたい。

※本稿には暁月の終焉ENDWALKERのストーリーに触れる部分が多くあります。未プレイ、未クリア者の方は閲覧に十分ご注意ください。









 

ハイデリンとゾディアークの物語とは何か

FFXIVの物語は、一見して単純な勧善懲悪であるかのように幕を上げる。
世界を混乱させる蛮神と秩序を作る連合エオルゼア。
住処を攻撃する竜と領民を守るイシュガルド。
領土を侵略する帝国と略奪されたものを取り返そうとするドマ。
世界を崩壊させようとする光の使途とそれを阻む闇の戦士。

そのすべてに関与しているのが、ハイデリンの加護を受ける光の戦士及び暁の血盟、そしてゾディアークの復活を望むアシエンらである。光の戦士とアシエンの闘いはハイデリンとゾディアークの代理戦争でもある。

「新生」において、アシエンらは帝国を陰から操る黒幕のように舞台に上がる。イシュガルドやドマ、第1世界においても同様に、彼らは強力な力と不死の能力で世界を混乱に貶めていく。
しかし各国で起こる戦争の真相が明らかになると、アシエンらの行動はあくまできっかけに過ぎなかったことが分かる。それらをより大規模化し、多くの犠牲者を出す非人道な道へと進めていったのは、人間であった。
同時に、光の戦士や暁の頼もしい味方と思われたハイデリンも、目的や存在が不明確となっいく。頻繁に行われていた交信は回数が減り、力の発揮には犠牲が伴うことが明らかとなった。

反対にアシエンらは、能力的にも感情的にも限界があることが示されていった。それぞれには異なるバックボーンがあり、故郷や時代を愛する人間的な情が隠れていた。世界にとっての敵だと思われていたアシエンらは、「漆黒」において完全に様相を変える。

 

ではもし彼らが悪でないならば、彼らがゾディアークを使って招こうとしている「終末」とは何なのか。そしてそれを阻もうとするハイデリンは正義であるのか。彼らの闘いの表で舞台に立っていた人々の営みには、どんな意味があったのか。
暁月の終焉その問いに一つの答えを与える。

光の戦士たちにとっての最後の敵

エルピスにおいて光の戦士が追体験した事実によれば、アシエンらの時代で発生し、原初世界で現在起きつつある終末は、「デュナミス」というエネルギーに由来している。「デュナミス」は人類が使用しているエーテルより強力なエネルギーとなる可能性があるが、生物の「想いが動かす力」と言われる。扱う生物の希望や絶望といった精神によって起きる現象が変化する、不安定なものだという。
このデュナミスを強く持った存在が、宇宙の生命の存在に対し強大な絶望を抱き、その絶望を解決する手段として宇宙の終焉を願ったことが「終末」の直接の原因であった。

この「終焉を謳う存在」は、エオルゼアがある惑星アーテリスのみならず、宇宙空間に存在する知的生命体や文明を数多く見送った結果、こうした結論へと至った。
それは人間同士の終わらない争いの歴史であったり、惑星や宇宙のもつ物理的寿命の発見等であった。
生物が懸命に生きたとしても、争いは消えない。未来に受け継いだ命があったとしても、宇宙はやがて消滅する。どんなに高度な知性や存在であってもそれを避けることができない。だとしたら人や生き物が辛い思いをして生きる意味はいったいどこにあるのか。

生きることに意味がなく、終わりが避けられないのであれば、絶望に苦しむ前に存在を消すことが安らぎなのではないか。死という安らぎを迎えても、また別の生命として命が循環すれば、苦しみをただ繰り返すだけである。そうであれば、生命の循環が終わるまで、生き物の存在の変化を進めることこそが、彼らにとっての真の安らぎに違いない。
「終焉を謳う存在」は観測の結果をそう結論付け、絶望を抱いた生命の変化を加速させていた。
この存在には形式上の人格を与えられてはいるが、結論を出したのは観察を行う端末としての機能だという。したがって、そうした終末思想こそが「終焉を謳う存在」の正体であり、光の戦士たちにとっての最後の敵であったといえる。

これは、アシエンらがゾディアークを使って世界を統合し、彼らが生きていた時代の世界を取り戻したとしても、絶望の原因を取り除かない限り終末は避けられないことを意味する。暁やエオルゼア同盟がいくら蛮神を倒し事件を解決したとしても同様と言える。「絶望を願う存在」に絶望以外の解答を示せない限りは、終末は避けられないだろう。

「漆黒」までは、世界の統合を果たし原初の世界へ帰ろうとするゾディアークと、統合を拒み現在の生命を生かそうとするハイデリンという、いわば過去と現在という対立図式であった。
「暁月の終焉」において、それは命の終焉と生命の肯定という対立図式へと物語が進んでいく。
光の戦士とアシエンら古代人たちは、終末を避けるという共通の目標のために手を取り合い、「終焉を謳う存在」に生命の可能性を示すのだった。

ニーチェの予言した神の死、末人たち

人間の生命や存在に対して確かな価値を見出すことができず、孤独と諦念苛まれ、深い絶望のうちの生きる意味を見失ってしまう。こうした生の虚無化はかつてフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)が唱えたニヒリズムを思い出ささせる。
近代以前の社会においては、人は宗教や神を最高の価値観と見なし、個人の精神的な支柱であるとともに社会との繋がりの基礎としていた。

しかし科学技術を始めとした知識の進歩により、物質的観測のできない宗教や神は、人間によって作られた「神話」に過ぎないと内実を暴かれていく。近代社会をこのような魔術からの解放のプロセスとしてとらえた場合、人は確かに宗教や神の固定観念から自由になった。


一方で、それまで神から与えられていた人生の意味を、自らの手で見出さなければいけなくなった。ニーチェは、それは人にとってあまりにも重い試練だという。自身によって生きる意味を見出す過程に疲れ、傷つくうちに、人間はやがてやがて自分で考えることをやめ、真理に疑問を持たず、退屈な生の中で安楽のみを求めるようになる。ニーチェはこうした人間を「末人」と呼び、世界の大多数となることを予言した。

「終焉を謳う存在」と対決するために、光の戦士たちは宇宙の彼方へ向かう。そこでは、既に絶滅してしまった星々の生命との対話が行われる。
彼らはアーテリスに住む生命よりもはるかに優れた能力や知性、科学技術を持っていた。しかし発展の末に行きついた結論はどれも、生きることの無意味さであり、宇宙の終わりに対する諦めだった。
これはまさにニーチェの予言した「末人」たちを思わせる。

ニヒリズムの行きつく先

こうしたニヒリズムが重度に進行すると、苦しい現在から逃避するために、自分たちの生きる現実を誰かに終わらせてほしいという願望が切実なものになる。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーによれば、近代以前の社会の権力は人の命を奪う性質に特徴があった。しかし、近代以降の権力は人を生きさせる権力、「生権力」という特徴がみられるという。
現代社会においては、確かに私たちの体は様々な手段で検査され、体重や健康を適正に保つことが「良いこと」とされる。メディアや保険会社は健康寿命を維持し、健全に生きることを美徳とし、そのための商品や価値観を喧伝する。
2019年のパンデミックをめぐる議論では、ワクチンの接種は半ば義務となり、感染を抑える「自粛」を外部から要求され、周りに迷惑をかけないリスクの低い個体として生きることが望まれた。

生きるためには多くの人は働かなくてはならず、人と関わり、あるいは人と関わらることができずに、時には辛く苦しい思いもしなければならない。未来に本当に希望があるかどうかも分からず、かといって逃げ出すことも簡単ではない。パンデミックや大型震災という力に対し、人間の力はあまりにも小さい。

こうした状況の中、自身の辛さを誰にも共有することができないうえに、自分でそれを解決することもできないのであれば、人は何を望むだろうか。自分以外の誰か、より大きな存在によって、全てを終わりにして欲しいと願う他ない者が現れても不自然ではない。フーコーはニーチェと同様に、近代社会において「人間の終焉」を示唆した。

 

終末の到来を呼び寄せる加速主義

ニーチェは19世紀のドイツの哲学者であり、「神の死」は直接的には当時のキリスト教の勃興と社会の変化を捉えた概念だと考えられる。しかし、彼の予言したニヒリズムは、その形を変え、現在でも世界中で発見することができる。

ニヒリズムの現代的な理論の一つに「加速主義」がある。それはイギリスの哲学者ニック・ランド(1962-)を中心に理論化され、主にアメリカの政治運動などを中心に論じた。


彼によれば、国家の役割を最小化し、企業の競争を積極的に支援することを目的とした新自由主義資本主義は、企業の生産力を拡大した一方で、富の偏在、貧困、格差拡大といった社会的矛盾を深刻化した。
社会を豊かにするはずの工業やICTを始めとする技術革新は、その矛盾の拡大のスピードを加速させてもいる。
共産主義思想等、資本主義社会に代わる代替案を提出するはずであった思想は、資本主義の代わりとなることはできなかった。


社会の矛盾に苦しむ人々は、今ある社会で逆転をすることも、別の形の社会を描くことも難しい状況にある。
そうであるならば、資本主義社会に代わる社会体制を提案したり、資本主義以前の社会へ戻ることを望むのではなく、むしろ技術による社会変革を加速して、現在の資本主義社会の終焉した先に解決を見出そうとするのが、加速主義の基本的な考え方と言える。

これは政治的運動への考え方である一方で、ニーチェ的なニヒリズムの変奏系でもある。今現在生きている世界の在り方に大きな疑問や矛盾を感じる一方で、それを人間の手によって形を変えたり、過去の良かった姿に戻すことは不可能に近いという、ある種の諦めをも同時に抱いているからだ。
その先に目指しているのはある種の「終焉」であり、むしろその終焉を望んでいるかのようにも思える。
これは、どこか宇宙の果てで終焉を望んだ存在達、そして「終焉を謳う存在」を思わせる。

暁月の終焉が目指したもの

FFXIVのメインストーリーが、賛美両論含め、これほど世界で受け入れられたのはなぜか。その背景には、こうした時代的精神性との共感があったに違いない。
生に目的を与えてくれる神が不在になった世界で、一人で生きていくことの孤独や不安、退屈を抱えて人はどこへ行けばよいのか。光の戦士たちが「終焉を謳う存在」へ提示した未来は、その一つの解答を目指していた。
ゲームの体験を通じて、世界中のプレイヤーへその問いと答えを伝える。これこそが、ハイデリンとゾディアークを巡る10年の物語で目指した挑戦だったのだと思う。

暁月では、メインクエストに同行や尾行といった新たな要素が加えられた。クエスト中に何度も繰り返され、プレイに定着していく中、メインシナリオ最後の同行によって、その意図が体験される。同時にENDWALKERという副題の意味が、プレイヤーによって明らかにされる。
同行や尾行について、エンターテイメントとしてのゲーム性からは、進行のテンポを気にするユーザーもいるかもしれない。また、絶望を経験した故の希望というテーマであるがゆえに、暗く長いストーリーが続くことに、時には疲れてしまうプレイヤーもいるかもしれない。

しかしここまで考えてきた私たちには、これらをただのゲーム要素と割り切ることはできない。
これは、暁との旅を通して光の戦士が「終焉を謳う存在」への答えを見つけるというプロセスを、ゲームを通じてプレイヤーに体験してもらおうというチャレンジだったのだろう。

こうした工夫が、ゲームの感動を高める効果として十分であったかどうかは、それぞれのプレイヤーの感性に委ねられるだろう。
一方で私は、RPGというジャンルの中で新しいゲーム体験の経験を目指した、重要な挑戦だと思う。

これは1990年代の黄金期のRPGを彷彿させる。
90年代RPGは、ストーリー等のゲーム体験を通して、まだ誰も経験したことがないような感動を与えようという作品が、大なり小なり多く存在した。しかし、ソーシャルゲームなどのインスタンスな遊びが流行を強めていく中で、こうした工夫は次第に見られなくなっていった。
FFXIVは、その挑戦的な姿勢を、現在の時代の精神を捉える形で目指している。

暁月が終焉にいたっても、FFXIVの次なる冒険はすでに準備がされているという。
彼らの挑戦がどのように歩むのか、一プレイヤーとして、これからも行く先を見守っていきたいと思う。

 




参考
ニーチェ(著),氷上英廣(訳),『ツァラトゥストラはこう言った』,岩波文庫
岡本裕一郎(緒),『ポスト・ヒューマニズム: テクノロジー時代の哲学入門』,NHK出版新書

【FF14】新生エオルゼアから漆黒のヴィランズまでの感想1_新生エオルゼア

前段

2020年9月からFF14を開始し、漸くパッチ5.3「クリスタルの残光」までシナリオをクリアすることができた。
6.0暁月のフィナーレEndwalkerまで、まだ後いくつかのパッチがあるが、物語としては一つの区切りがついたように思う。
足掛け1年余り、長い冒険であったが、それぞれとても感慨深い旅路であった。せっかくなので、ここまでのシナリオを含め感想を残したい。
※各シナリオについてネタバレに触れる可能性があります。未クリアの方はご注意ください。


新生エオルゼア

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https://www.jp.square-enix.com/company/ja/news/2013/05/23/images/A_RealmReborn_JP_6k_Master%E7%99%BD.jpg



冒険者としてエオルゼアに降り立った主人公が、各地で発生する事件の解決を図りながら、蛮神や霊災、エーテルといったエオルゼアを成り立たせる世界観の謎を、対蛮神組織「暁の血盟」と共に解き明かしていく。召喚される謎の蛮神、三国を脅かす帝国の侵攻、それらの裏で暗躍する謎の存在アシエンらを巡る大きな戦いに巻き込まれていく。


FF14ストーリーの開幕として相応しいスケール

シナリオの進行と共に明らかになっていく世界の仕組みと共に、次々と解放されていくIDや討滅戦といったインスタンスコンテンツ。ジョブチェンジやチョコボ、ミラージュプリズムなど、物語が進むほどできることが増えていく解放感は、MMORPGの幕開けに相応しい期待を与え続けてくれる。

初期装備に身を包んだ若葉マークプレイヤー、王冠のついたベテランらしきプレイヤー、広場で楽器や踊りを披露するRPプレイヤーなどエオルゼアに降り立って初めて目にする光景は、異世界の入口としてこれ以上に無いほどに壮観であった。

ストーリーとクエストのスケールの差

一方で、メインクエストの内容はやや小規模で単調なものもあった。特定のモンスターを倒しアイテムを回収してくるなど、90年代MMOのお約束的「お使いクエスト」は、物語のスケールの広がりに対してややギャップがあるようにも思う。
以後のアップデートではこうした傾向は大分改善されており、FF14黎明期の試行錯誤の跡と考えると、また違った感慨が得られるだろう。

暁の血盟というキャラクター達

また、シナリオの進行を主人公と伴奏する「暁の血盟」については、評価が分かれるかもしれない。エオルゼアでの霊災の再来を防ぐため、三国とは独立で戦う彼らではあるが、動機や背景に詳しく触れらる機会が少ない。登場人物が多い点も合いまって、新生のシナリオだけでは行動原理への理解が深められなかった。
魅力的なキャラクターたちであっただけに、この点については後のシナリオへ期待するところだ。
新生前の旧FF14をプレイしているかどうかも彼らの理解に関わってくるように思うが、現在そのシナリオをプレイする手段が無いのも惜しい。

これらは、新生のシナリオがキャラクターの掘り下げよりも世界観の説明を重視した結果と言えるかもしれない。
三国の代表者についても、それぞれが国で担う役割が強かったように思う。ナナモとラウバーンなどは見せ場の多さもあり、また彼女らの個人的な人間関係や弱さも垣間見え、カヌ・エ、メルウィブに比べ魅力的なキャラクターであった。

完成度の高いサブシナリオ

試行錯誤の見られるメインシナリオの一方で非常に完成度が高いと感じたのが、クリスタルタワー及び大迷宮バハムート関連だ。
両者ともシナリオの柱となるキャラクターが明確であり、彼ら彼女らの成長とシナリオの進行がつながっている。また、シナリオの最後では、彼らの現在に一つの結末が待ち受けており、物語として丁寧に完結している。
メインシナリオの試行錯誤が生かされた結果であるのかもしれない。

新規参加者を歓迎するゲームデザイン

他方、FF14のゲームデザインとして最も素晴らしいと思う点は、新規プレイヤーと継続プレイヤーが同時に遊んでも破綻をきたさないよう施された様々な工夫だ。

例えば、IDや討滅戦などのコンテンツに挑む際は、レベルシンク・アイテムレベルシンクにより、新規プレイヤーと上級プレイヤーはある程度ステータスが平準化される。

また2021年8月27日の公開サーバーテストでは、コンテンツ申請時のマッチングにおいて、若葉マーク(初心者プレイヤー)を優先的にマッチする仕組みが働いていることも示唆されていた。

「暁月のフィナーレ」に向けた公開負荷テストおよび生放送実施 8月27日(金) | FINAL FANTASY XIV, The Lodestone


レベル50以降は装備によるステータス補正が非常に大きくなる。最新環境での装備を入手するには時間と手間がかかるが、一定程度パッチが進行すると新規プレイヤーでも比較的容易にそれらが入手可能となるよう条件が緩和される。

大型パッチが充てられる際は、操作環境や各ジョブのスキル等に大幅な改修が入ることも多い。ジョブによってはパッチ毎に改めて操作を覚えなおす必要が発生することもあるが、それらは複雑な仕様をシンプルなものへ置き換える方針で統一されている。

このような様々な工夫により、新規プレイヤーでも経験者とある程度同等に遊ぶことができるように作られている。

FF14以前のMMORPGでは、開始から1年も経ってしまうと、新規プレイヤーと先発プレーヤーが同じ土俵で楽しむことは非常に難しかった。
(初期のウルティマオンラインなどでは、初心者だと見抜かれた瞬間に他のプレイヤーからキルされ、持ち物を軒並み奪われていた。何が起こったかも分からず、自分の死体を回収するために殺害現場に戻ると、姿を消すスキルを使用して待ち構えていたプレイヤーキラーに再度キルされるという地獄のような光景が度々あったように思う)

とはいえもちろん限界もある。例えば新生での最初の8人コンテンツであるリットアティン強襲戦は、主人公らの目の前に現れた初めての帝国猛者とのバトルとして描かれるが、2021年9月現在戦闘は数十秒から数分で終わってしまう。
新生終盤の戦闘では、このようにプレイヤーらのILが上がりすぎたために生じてしまうシナリオとの温度差が複数見られるが、大きく気になるのはそれらくらいだった。
※なおリットアティン強襲戦はパッチ6.0~で何らかの仕様変更が行われる模様

これは、FF14が継続プレイヤーと新規プレイヤーを同じくらい大切にしようとしてきた姿勢によるものだと思う。繰り返しになるが、この点において既存のMMOでFF14に比肩するものはいまだ見たことがなく、唯一無二といえる。
今なお本作の新規ユーザーの拡大が続いているのは、このような継続した努力によるものではないだろうか。

総評

ストーリーとメインクエストのスケール感のギャップ、主要キャラクターたちである「暁の血盟」の掘り下げ不足等、気になる点はあるものの(それも今後改善される)、未知の世界へのワクワクした高揚感と、新規プレイヤーを大切にする親切なゲーム設計が随所から感じられ、FF14の導入として相応しい作りであった。
シナリオ面では、特に新生終盤から蒼天のイシュガルド導入は波乱に満ち、世界が広がる期待と待ち受ける不安を感じさせる素晴らしい展開であった。

(続く)

 

 

 

【感想】デジタルファンフェスティバル2021(FinalFantsy XIV Digital Fan Festival2021)

FinalFantsy XIV Digital Fan Festival2021

2021年5月15日から16日にかけてFinalFantsy XIV Digital Fan Festival2021(ファイナルファンタジーデジタルファンフェスティバル)が開催された。

fanfest.finalfantasyxiv.com

制作会社であるスクウェアエニックスが主催する、ファイナルファンタジー14のプレイヤーを対象とした大型イベントで、2014年からおよそ2年に一度開催されている。

内容は次期大型アップ―デート(拡張ディスク)の発表や、吉田直樹プロデューサーを中心とした開発陣の講演、コスプレイベント、体験型ゲームなどバラエティに富む。
ゲーム業界関連のイベントとして個人的に特筆したいのは、その開催地。日本以外の複数の国で数日間に渡って開催されることもあり、第3回の2018-2019ではラスベガス、パリ、東京、上海で足かけ2年間に渡り実施された。

fanfest2.finalfantasyxiv.com
第4回である2021年は、新型コロナウイルスのパンデミックに伴い、オンライン上での開催となった。内容はすべてストリーミングで無料視聴可能であり、全世界の視聴者と共に同時参加できる形となった。

今回オンラインという形ではあるが、本イベントを初めて視聴した。結論から言うと、FinalFantasyXIVの制作スタッフが、ゲームを通してファンを大切にしてきたことの一端が分かる、とても素晴らしいイベントだった。

FF14というMMOが目指すもの

スマートフォンをはじめとしたテクノロジーや生活環境の変化によって、私たちの余暇の過ごし方も大きく変わってきた。2000年代以降、長い時間をかけてキャラクターを育てたり、アイテムやトロフィーを獲得するゲームモデルは数を減じた。代わりに短時間で完結し多くの人と関わることのできる即興的なゲームが、販売シェアの大部分を占めているように思われる。このような光景はアップルストアやGoogleplayの売り上げを見れば一目瞭然であろう。

家庭用ゲーム機についても傾向は同様で、多人数参加型FPSが流行する2020年代において、MMORPGというゲームモデルは古臭いものだという感想を持つ人も居るかもしれない。

こうした最中本作は、ウルティマオンラインやEverQuest等の1990年代の伝統的MMOから、World of Warcraftのような2000年代の新しいMMOへの変化に準拠しつつ、日本の新しいプレイヤーに遊んでもらうにはどうしたらよいかという点を誠実に追及しているように思える。

同時に、日本だけをメインのターゲットにしたゲーム制作の限界も強く感じているようだ。例えば今回のファンフェスティバルでも、開発陣が日本語で発言した直後、リアルタイムで通訳スタッフの英語翻訳が入り、2か国語での放送となっている。

その場のアドリブにも即座に対応する程の力をもった通訳スタッフが、ゲーム制作の現場のすぐ傍にいるという事実にも驚かされるが、日本の開発陣が自ら自分の言葉を英語に翻訳する場面も多々見られる。海外での展開を考えればすぐにわかることだが、FF14の日本の制作チームは既に二か国語に対応しているのだろう。

1日目 時期アップデートの内容に加え、開発パネル等コアなコーナーも

内容についても簡単紹介をさせていただく。

1日目は、吉田直樹プロデューサーの基調講演からスタートし、2021年発売予定とされていた大型アップデート、「暁月の終焉」ENDWALKERの発売日が正式に2021年11月23日に決定したことが発表された。それに伴い、事前告知されていた新しい近接DPSジョブ「リーパー」、ストーリーや新MAPなどの紹介がされた。

またこれまで女性だけであったプレイアブル種族ヴィエラに男性が追加されることや、オセアニア地方のデータセンターが新たに設置されることが明らかになった。
代表取締役を含めた開発陣の挨拶もあり、製作スタッフの和気あいあいとした雰囲気を感じ取ることができる。

その後はプレイヤー参加型イベントの「ハイデリン探検隊」、バトルチームを中心とした座談会「開発パネル」、モンクをメインジョブとする俳優神木隆之介とのトークイベント「直樹の部屋」、ピアニストKeikoのスペシャルライブで一日目が終了となる。

どれも見ごたえがあるが、開発パネルでの宮澤隆信、中川大輔両氏のプレゼンテーションは、明快で面白かった。最初に出てきたアイデアをゲームに落とし込んでいく制作の過程、思考のフローを言語化するプロセスが非常に洗練されていた。想像だが、社内では海外チームを含めた、異なる言語間でのプレゼンテーションも相当するあるのではないだろうか。

2日目 海外プレイヤーが楽しむFF14、開発スタッフのサービス精神

2日目はオープニングで専務取締役、橋本真司氏がFFシリーズのブランドマネージャーから退任し、新たに北瀬佳範氏が担当することが発表された。吉田プロデューサーより、FF14が「新生」される非常に大変な時期から共に仕事をしてきた経過が触れられ、花束の贈呈がなされた。

その後は第64回プロデューサーレター、「あなたの推しにミラプリしよう!」をみんなで見る会、Live Q&A、声優さんと振り返る名シーン、クイズ・ギルオネア!、スペシャルライブへと続く。
笑いあり、涙ありの非常に濃い内容だった。

個人的に触れたいのがクイズ・ギルオネア!で、欧米のプレイヤーで2チームに分かれ、蛮神戦を先に攻略したチームからクイズに回答するというもの。
ボイスチャットで「このギミックはなんだっけ?」「忘れた」などと会話しながら攻略する姿は、日本と変わらないようだ。
一方で、対戦相手にハンデを付けるために急にグループポーズの撮影を始めるなど、大らかなプレイスタイルも見られ、各国で様々な楽しみ方をされているのだと実感できる。

スペシャルライブの終盤では、サウンドディレクターの祖堅 正慶氏が闘病生活の中でパッチ5.0以降の制作にあたっていたこと、一部開発スタッフ以外にはそれが伏せられたまま制作が進行していたことが明かされた。
同氏は吉田プロデューサーがFF14に就任したころからのチームであり、先の橋本氏と同様に「新生」として立て直しを担ってきた仲間であるという。
なお現在は寛解に近い状態であるとのことであるが、吉田プロデューサーが当時の想いを涙で言葉を詰まらせる場面もあり、開発スタッフが強い結束と一体感でFF14を支えてきたことが垣間見える一幕であった。

FF14は開発スタッフとファンとで作っていく物語

新旧のMMOの歴史、日本と世界という言葉や文化の違い、様々なハードルをファンとの意見交換や交流を軸に超えていこうとする姿が、今回のファンフェスティバルを通してもしっかりと伝わってくる。
FF14は開発スタッフにとっても、またプレイヤーにとっても一つの大きな物語になりつつあるのだろう。
本作が世界各国で愛されており、今なお利用者を増やしている理由が良く分かる、とても楽しいイベントだったと思う。

2021年5月末現在、ストリーミングは無料でみることができる。
未視聴の方はぜひご覧ください。

fanfest.finalfantasyxiv.com

 

 

 

PC用マイクとしてキングストンHMIS1X-XX-BK/G HyperX SoloCastを購入した

発端はボイスチャットへの興味

FF14を本格的に始めるにあたりデスクトップPCを自分で組んだが、マイクとカメラは付けていなかった。
以前からボイスチャットを併用しながらFF14をプレイすることに興味があったので、テレワーク用などと理由を付けてPC用マイクとスタンドを購入した。
今回購入したのは下記の通り。


PC用マイク キングストンHyperX SoloCast

HyperX SoloCastの正確な仕様については公式HPを参照のこと。
SoloCast - USBゲーミングマイク | HyperX

 

 卓上マイクスタンド Dream Chase

 

製品を開封した様子。

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選定過程

単にボイスチャット等で使用する程度であれば1,000~3,000円程度で購入可能なマイクはたくさんある。
一方でHyperX SoloCastは、Amazonや公式のページを見てもらえれば分かるが、エントリーモデルとしてそれなりの値段がする(テレワーク等の需要で品薄が続いている様子で、状況によってはさらに値段が高騰する可能性もある)。

本機を購入した理由の一つは、単一指向性かつカーディオイドパターンのマイクが欲しかったためである。

マイクはその作りによって集音する方向の違いがある。一定方向からの音を強く拾うもの、360度均等に音を拾うものなど複数の種類があり、音響の現場等では状況に併せて使い分ける。

この特性は、マイクロフォンメーカーの老舗であるShureによれば、マイクから特定の方向の音のみを拾う「単一指向性(Unidirectional)」、マイクの前後の音を拾う「双指向性(Bidirectional)」、マイクの周囲360度から拾う「無指向性 (Omunidirectional)」と分類されている。

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▲参考https://www.shure.com/ja-JP/performance-production/louder/multi-pattern-microphones-what-where-and-how

本機は単一指向性のうち、カーディオイドと呼ばれる種類で、前方からやや横方向の音に対する感度が強く、背面の音に対して最も感度が低い。
我が家では夫婦でFF14をプレイする機会が多いため、下記の構図で使用した際に、二人の会話を集音し、背面のゲーム音に反応しないようにしたかった。

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背面の音を拾わず、前方及び横方向の感度が高いカーディオイドの内、最も信頼できそうなものをレビュー等で調べたところ、最も信頼できそうなものが本機であった。


指向性に対する信頼

他の1,000~3000円台のマイクにも良さそうなものはあったが、横方向の感度という点では不安であった。
調べた限りこの値段帯では、感度が極端に強いものか弱いものが多いようだ。マイクを口元に持っていって使用する方法であれば、距離などの工夫でこの点は調整可能と思われるが、二人では難しい。
複数人での使用を想定したものだと無指向性のマイクになるが、しかしそれでは背後のBGMを拾ってしまう。

結果として、カーディオイドの指向性に最も信頼がおけそうなものの内、コストパフォーマンスに優れたものとして本機を選択した。

Amazon等のレビューをみると、ゲームの実況者や動画配信者にも使用されており、エントリー機としての値段帯でありながら音質の良さが評価されている。

他方、付属スタンドの背が低いため、キーボードの打鍵音を拾ってしまうというレビューもあった。そのため上記の卓上スタンドも併せて購入した。


使用感

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HyperX SoloCast単体の様子。
スタンドは初期付属のもの。確かに背は低め。
本体の頭にOnOffのスイッチがあり、軽く指で触れることですぐにミュートできる。
正面の赤いランプが点灯している場合はOnであり、点滅している場合はミュート。

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横から見た図。
接続端子はUSBケーブル。マイク本体側がUSB Type-Cで、出力側(PC側)がUSB2.0のものが最初から付属している。長さは2mあり、デスクより離れた楽器等を録音する環境でなければ十分な長さと言える。

HyperXのロゴが付いている側が正面で、何度か試してみたところ、正面方向およそ180度からの音に反応している。背面側の音はきちんとカットされていた。

二人で使用するという目的上、マイクと人との距離を20~30cmほど離す必要がある。ZoomやDiscordのマイクのテスト機能を使って使用してみたが、しっかり音を拾っており、問題は感じられなかった。音質は非常にクリアで、声の表情を感じることができる。さすがにPCやスマートフォン内臓のマイクとは全然違う。

同じテーブルで使用していると、キーボードの打鍵音をカチカチと拾ってしまうというレビューがあったが、我が家の環境では反応しなかった。
わざと強くキーボードを叩き、テスト機能のグラフを見てみたが、反応は見られなかった。

残りの検証事項

今のところ気になる点としては、初期スタンドの角度調整だろうか。ロゴ側がメインの集音範囲だとすると、ロゴと顔を水平になるように傾けると上の写真のような角度になる。マイクの頭のスイッチが若干押しにくい気もするが、その程度のものだ。

その後Zoomを利用して複数人で会話をしてみたが、聞こえづらい、音が小さい、逆に音が大きすぎる等の感想も無かった。

ノートPCのマイクとカメラを利用していた際は、こちら側のマイク感度を最大にし、聞き手側のスピーカー出力を上げた状態でも、なお聞こえ辛いと言われたことがあったが、本機では今のところ中程度の感度設定で問題ないようだ。
以前は夜にも関わらず声量を出す必要があり、近所の迷惑にならないよう気になっていたが、本機では自然な大きさで会話することができる。

楽器や歌の録音ではまだ使用していないので、部屋や外の環境音を集音してしまう可能性もあるかもしれない。それはいずれ検証したいと思う。


卓上スタンドの行方

というわけで、せっかく買った卓上スタンドは今回出番が無かった。

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箱から取り出した様子。

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伸縮させることができる。
卓上を想定しているため、コンパクトでかつ顔の高さまで上げることができるものを探した。底部も直径10cmほどで、非常に小さい。重さがあるので簡単には倒れる様子はない。収納時に分解してしまうため引き出しの場所も取らない。

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HyperXSoloCastを接続すると写真のようになる。
この場合、スタンドのヘッド部分を取り外し、マイク本体と直接ネジで接続するため、角度調整はできなくなる。
この点は使用目的に応じて注意すべき所かもしれない。

検証事項は残っているものの、現在のところ非常に満足した買い物である。
後はFF14でボイスチャットで遊んでくれる仲間を探すだけだが、それが一番大変かもしれない……。
本機はPS4,5でも使用可能だが、ボイスチャットを行うだけなら、スマートフォンにDiscordを導入するほか、Twitterのスペース機能なども使えるかもしれない。その方が敷居は低いと思われるが果たして。

一緒に遊んでもいいよという方、お声がけください。

【FF14】初見・初心者で行こう!大迷宮バハムート邂逅編第5層(The Binding Coil Of Bahamut Turn5)

大迷宮バハムートを実装当時のように楽しみたい

初見初心者のプレイヤー中心のPTで高難易度コンテンツに挑む本企画。
今回の舞台は大迷宮バハムート邂逅編第5層となった。

過去の記事

www.takeyuka.xyzwww.takeyuka.xyz

バハムートは、旧エオルゼアを破壊した霊災の張本人として、ストーリー上でも度々存在に触れられる。
「大迷宮バハムート」は、アリゼーと共にバハムートの調査に乗り出すというシナリオから始まり、やがて霊災の真実やそれに関わる重要人物の秘密に迫っていく。
シナリオはもちろん、ボスの強さやギミックの複雑さもこれまでの蛮神を遥かに上回る難易度であり、新生エオルゼア時代の多くのプレイヤーを苦しめ、また楽しませて来た。

現在では、コンテンツ解放と同時に1層から5層まですべてが同時に解放される。
また、コンテンツを先に進めるだけであれば1~4を無視して5層だけを制限解除してクリアすればよい。
だが、物語の柱ともいえるコンテンツを解除だけで終わらせてしまうのはもったいない。歴史あるコンテンツを可能な限り正面から楽しみたいと考え、制限解除無しで挑戦した。

結果として、攻略しがいのある難易度、驚きのストーリー展開など、当時のエンドコンテンツに相応しい楽しさを味わうことをできた。
実装から8年近く経ってしまったこともあり、一緒に遊んでくれるメンバーを8人集めるのはなかなか大変ではある。だが、ぜひ解除無しでカットシーンを見ながら楽しんで欲しい。

準備

初見と言いながら、実は大迷宮バハムート邂逅編に挑むのは今回で2回目となる。
1回目はFF14公式のポータルサイトであるLodeStoneのPT募集掲示板を使用して、一緒に遊んでくれる人を募集した。2時間ほど戦いを続けたが、勝ち切ることができずその日は解散となった。

今回は、初見・初心者のCWLSでの再チャレンジとなった。
21時開始でスケジュールを組んだが、最初はメンバーが集まらなかったため、せっかくなので1層から攻略を開始し、順次CWLSで声掛けをしながらメンバーを増やしていく形になった。
どうしても集まらなければ、最初に集まった4人で制限解除有りで挑もうかと相談していたが、第5層のころには無事8人集まり、制限解除無しで挑戦することが可能となった。
毎度ながら、参加してくださった皆さんには感謝です。

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▲戦闘開始前

戦闘開始

例によって最初は事前打ち合わせなしにスタート。
今回はメインタンクをさせてもらうこととなった。
邂逅編5層は、4層までとは異なり途中にダンジョンは無くボス戦のみのコンテンツとなる。
拘束具を付けられたワイバーン「ツインタニア」と、3体の「メラシディアン・ワイバーン」の計4体との闘いから幕を開ける。

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ツインタニアにダメージを与えていくと、装着されていた拘束具が徐々に外れ、それに伴い攻撃パターンが変化していく。この変化は全5段階有り、ここではそれぞれフェーズ1~5と呼ぶ。

フェーズ1

闘いはまず「ツインタニア」と「メラシディアン・ワイバーン」3体を引き離し、各個撃破をするところから始まる。メインタンクがツインタニアを、サブタンクがワイバーン3体をそれぞれ牽引する。
最初は何も知らずまっすぐ4体の真ん中に突撃していたが、戦闘はサブタンクが敵に発見されることから開始し、メインタンクが「挑発」でツインタニアを誘導するのがセオリーのようだ。

なお、今回のPTでは、ツインタニアはマップ中央からやや東側に誘導し、ワイバーンは西側に離していた(理由は後述)。

なんてことはない戦闘開始に思えるが、邂逅編の実装間もなくは、最初の誘導後の各メンバーの布陣、ヒーラーの分担等ダメージ軽減スキルの順序など、戦闘をスムーズに進めるための工夫が非常に多く研究されていたという。
現在よりもアイテムレベルが低かった当時は、十分に装備を整えたタンクの最大HPが8,000~、ヒーラー等は5,000程度である中、ツインタニアの使用する「デスセンテンス」などからは容易に6,000以上のダメージが与えられる。
また、ワイバーンの使用する「ヘルリキッド」はダメージエリアを生成するため、移動しつつ戦闘することが求められる。
これらの攻撃はどれも一度のミスで即死しかねず、各プレイヤーの散開位置からタイミングまで、入念な打ち合わせが不可欠であったという。

ワイバーンを一体ずつ撃破し、ツインタニアへ攻撃を集中させ、残りHPを85%以下まで減少させると、ツインタニアの拘束具が一つ落下し、フェーズ2へと移行する。

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▲一つ目の拘束具

ツインタニアらの攻撃も、2021年4月現在のアイテムレベルでは、それほど注意をしなくても先へ進めることができた。
などと油断していると……。

フェーズ2

ツインタニアの攻撃に新たに「ファイアボール」と「ファイアストーム」が追加される。またこれまで使用していた「デスセンテンス」に被弾すると「虚弱」のデバフ(ステータス異常)が付加されるようになる。
現在でも、ここからは油断するとすぐに戦闘不能になってしまう。

  1. デスセンテンス
    デスセンテンスの虚弱効果を受けると、ケアル等での被回復量が減少する。タンクはダメージ軽減スキル等を適宜入れれば、現在は十分生存することができる。実装当時はダメージを受けてから「虚弱」デバフが付与される一瞬の間に回復効果が発揮されるよう、タイミングを見計らって回復魔法を使う、いわゆる「差し込み」と呼ばれるテクニックなどがあったようだ。

  2. ファイアボール

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    ▲ファイアボールのターゲットマーカー

    敵視3位以下のメンバーを対象とする。被弾者が多いほど一人当たりのダメージが減少する「頭割り」攻撃。
    合計ダメージが約15,000のため、現在でも最低で3人以上で受ける必要がある。人数が多いほど一人当たりのダメージ量を少なくなるが、人数が増えると次に使用する「ファイアストーム」が強化されるため、単に攻撃に併せて集合すればよいわけではない。

  3. ファイアストーム
    同じく敵視3位以下のメンバーを対象とする。詠唱が終わると炎の檻が出現し、周囲のメンバーともども行動不能になり、かつ継続ダメージを受ける。
    捉えられた仲間を解放するには、檻を攻撃し破壊する必要があるが、制限時間に間に合わなければ爆発し、仲間が大ダメージを受ける。
    一つ前のファイアボールを受けた人数が多いほど、爆破までの時間が早くなる



ファイアストームの性質により、PT全体の攻撃力に併せ、ファイアボールを頭割りする人数を決定する必要がある。

実装当時は、ギミックの理解に自信のあるPTは「3人受け」、それ以外は「4人受け」することが多かったようだ。
加えて当時は、召喚士の召喚獣や学者のフェアリーらも、PTメンバーの一人としてHPが存在し、頭割りの要因にも加わることができた。このため、頭割り要因として召喚士や学者の需要が高かった時期もあるという。

現在の頭割り攻撃には、内側を向いた黄色い矢印が点滅する専用マーカーが予兆として表示されるため、迷ったらとりあえず集合すればなんとかなってしまうことが多い。
ファイアボール・ファイアストームにはそうした演出が無いため、最後まで本当に何が何だか分からないまま終わってしまうことが結構ある。

思い返すと、今回のPTではファイアストームやファイアボールに関する質問や打合せがほとんどないまま、なんとなく攻略できてしまっていたが、皆大丈夫だったのだろうか……。
恐らく、第3フェーズの「ダイブボム」が恐ろしすぎ、そちらに注意を奪われてしまったのかもしれない。

フェーズ3

ツインタニアのHPを55%まで減らすと、拘束具が更に一つ落下し、フェーズが移行する。

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▲二つ目の拘束具

恐怖のダイブボム、蛇の増援、全体攻撃のエーテリックプロ―ジョンと、バラエティに富んだ猛攻が続く。
それぞれギミックを理解していないと現在でも即死を免れえない山場の一つ。

  1. ダイブボム
    画面外に飛翔したツインタニアがターゲットめがけて滑空する攻撃で、ターゲット前後の直線状にいるメンバー全員に大ダメージ及び長距離ノックバックを与える。
    ダメージも然ることながら恐ろしきはノックバック。ツインタニア戦ではフィールド外周が炎に包まれており、触れるとその場で即死してしまう。対処法を理解していないと自分のみならず周囲のメンバーを次々と戦闘不能にしてしまう。
    対応はシンプルで、ターゲットされるまで全員で一か所に集まり、ターゲットマーカーが出現した瞬間に全員で同時に同じ方向へ逃げる、回避後はまた全員で一か所に集合する、というもの。

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    ▲Aマーカーが今回の避難場所。2つ目の拘束具が落ちた後にすぐ集合する必要があるが、メインタンクの位置取りによっては避難に遅れてしまうものも出てしまう。そのため、ツインタニアを東側に誘引することにした。


  2. 増援
    ダイブボム3回の後、「アスクレピオス」(大きい蛇)1体、「ヒュギエイア」(小さい蛇)2体が増援として現れる。その45秒後、再度ダイブボムが3回放たれ、さらに小さい蛇が2体増援で現れる。
    大きい蛇はメインタンク、小さい蛇はサブタンクで担当分担する。
    小さい蛇を倒すと周辺の敵味方に付与されるダメージ上昇デバフを、うまく大きい蛇に当て、効果中に大きい蛇を倒すというのが大まかな作戦となる。
    ダメージ上昇効果が残ったままだと、この後のツインタニアからの全体攻撃でPTが全滅してしまう恐れがあるため、ダイブボム後にサブタンクが引き連れた4匹の小さい蛇を同時に倒すというやり方が多いようだ。
    現在では力業でも突破できてしまうため、ギミックの気づかず倒してしまうことも多いかもしれない。

  3. エーテリックプロ―ジョン
    大きい蛇の出現から130秒経過後、ツインタニアが放ってくる大技。
    非常にダメージが大きいため、全員でフェーズ移行時にツインタニアが落としていく拘束具の上に乗ってダメージを軽減する。

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    ▲拘束具の上に避難中

    拘束具の上に乗っていると受ダメージ及び被回復量が減少する性質を利用したギミックとなっている。これを知らないと意味が分からないうちに全員死んでしまう。


さて、この中で最も厄介であったのはダイブボムだった。対処方法はあるが、全員で同時に回避行動を行うというのが、やってみると非常に難しいことに気づく。

一人だけタイミングが合わず吹き飛ばされたり、その結果2回目の集合にはスプリントでも間に合わず連続被弾したりと、とにかく焦りを生む。
実装当時もかなりの数の光の戦士たちが犠牲となったようで、攻撃位置から回避法まで様々な対処法が研究されたようだ。

この難しさの理由の一つには、オンラインゲーム特有の遅延が影響しているように思う。というのは、FF14ではどうやら、自分のキャラクターの行動は即時に実機の画面上で処理されるが、他のプレイヤーの行動はデータセンターからの通信を待ってから画面上の処理へと反映されるようだからだ。
しかし、データセンターの数値上では、各プレイヤーからの通信を基に同時に処理がなされている。
結果として、自分のプレイしている画面上では、自分のキャラクターが一人だけ先に逃げているように見えても、データ上は実は全員同時に行動している、ということが起こりえる。

ゆえに、画面の情報だけを信用していると、自分だけタイミングを合わせられなかったように見えてしまい、慌てて集合地点に戻ろうとすると、今度は他の全員が逃げ出しているように感じられてしまう。

そのため、集合地点と逃げ場所を行ったり来たりしているうちにダイブボムで吹き飛ばされてしまう。全滅した後も、いったい誰が原因を招いたのか分からないモヤっとした気持ちを抱えてしまうという、恐ろしい攻撃である……。

何度も何度も全滅し、集合地点にマーカーを置いたり、先輩プレイヤーに再三ギミックの解説をお願いしたり、打ち合わせを繰り返したが、ついに完全回避には至らなかった。

そこで、今回は無理に全員で回避せず、集合できる人のみマーカー地点で回避行動、間に合わなそうな人はフィールド外周に沿って走ることにした。
結果として、戦闘不能者0~1、2名程度まで被害を抑えることはでき、対処としては一定の効果があった。

ダイブボムをなんとか乗り越え、蛇を倒せばフェーズ3ほとんどお終い。エーテリックプロ-ジョンのダメージを受けた後は即座にヒーラーが全体回復を行い、メンバー全員が散開。
フェーズ4へ移行する。

フェーズ4

個人的に最も大きな山場。
「ツイスター」と「ドレッドナイト」という二つの即死技が猛威を振るう。

  1. ツイスター
    約25秒毎に使用される。詠唱が終わると、ターゲットプレイヤーの足元に竜巻の罠が仕掛けられ、触れると空中に打ち上げられ、落下後に即死する。

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    ▲ツイスターにより仕掛けられた竜巻

    竜巻は足元に仕掛けられるが、キャラクターが止まっていると出現した瞬間に触れたことになり、即座に空中に飛ばされてしまう。そのため前情報が無いと、なぜ自分が戦闘不能になったのか分からないまま終わってしまう。
    回避方法は単純で、ツイスターの詠唱が始まったら全員その場で円を描くように動き続けること。そうすると、さっきまで自分の立っていた場所に竜巻が発生するのが見えるので、それが分かったら自然消滅するまで竜巻に近づかなければよい。

  2. ドレッドナイト及びアンウォーヴェンウィル
    フェーズ4では約40秒毎に、マップ中央へドレッドナイトが出現する。また、その直後にツインタニアが敵視3位以下のキャラクターに「アンウォーヴェンウィル」を使用する。ターゲットとなったキャラクターは拘束され身動きが取れなくなる。その間にドレッドナイトがキャラクターへ接近し続け、接触する前にドレッドナイトを倒せなければ、拘束されたキャラクターが戦闘不能になってしまう。
    フェーズ3終了時にメンバーが散開するのはこのため。中央付近にメンバーが集まっていると、ドレッドナイト接触までの時間が短く、時間内に倒せなくなってしまう。
    ドレッドナイトにはヘヴィやスタンが有効なため、これらで時間を稼ぐこともできる。


フェーズ4ではツイスター、ドレッドナイト、デスセンテンスが同時並行して使用されるため、どれか一つに注意していると他が疎かになってしまう。一方ですべての技が即死級の威力を持っているため、最も緊張感に満ちたフェーズと言える。
実際、これまでのPTではフェーズ4を突破することができなかった。

対策としては、ツインタニアをフォーカスターゲットし、キャストバーを注意深く見ておき、ツイスターの詠唱表示が見えたら、すぐに円運動を開始することなどが考えられる。
ターゲットを見る余裕が無ければ、担当者を決めて「/p ツイスター注意 <se.1>」などをマクロで発言できるようにすると注意喚起になるだろう。
他にも先人の方々が研究した様々なマクロがあるので、興味がある方は「FF14 ツインタニア マクロ」などで検索をかけてみると良い。
ツインタニアのHPを30%以下まで減らせばついに最終フェーズとなる。

最終フェーズ

ツインタニアの足元に拘束具が落下し、最終フェーズへと移行する。ツイスターの使用とドレッドナイトの出現は終了する。後述する「魔力爆散」の対策のため、ツインタニアの位置は拘束具を落下させた位置から動かさないほうが良い。
注意する攻撃は「ヘルリキッド」と「魔力爆散」の二つ。

  1. ヘルリキッド
    ターゲットに対し5回連続の範囲攻撃が行われる。着弾後、着弾地点にダメージエリアが発生するため、狙われたキャラクターは外周付近に移動し、一回攻撃を受けるごとに少しずつ移動することで、ダメージエリアの拡大を阻止する。ダメージエリアを「捨てる」などと表現されることもある。
    受け方を間違えるとフィールド中がダメージエリアになってしまい、とても戦闘を継続できる状態ではなくなってしまう。事前に「捨てる」場所をPTで話し合って決めておくとスムーズだろう。
    メインタンクがターゲットされた場合は、「魔力爆散」対策のため、その場から動かずすべて受け切ってしまうほうが良いかもしれない。

  2. 魔力爆散
    ターゲットされたキャラクターの頭上に紫色のマーカーが付き、誘導弾が発射される。
    基本的には狙われたキャラクターは拘束具の上に乗ってダメージを軽減して対応するが、サブタンクがすべてを受けきってしまうやり方もある。その場合は、最終フェーズ開始時からツインタニアを動かさず、ツインタニアの真下に拘束具が落ちている状態をキープする。魔力爆散のターゲットマーカーが出た瞬間、サブタンクが拘束具の上に移動すると、発射された誘導弾がサブタンクに当たり消滅するため、他のメンバーへの攻撃を妨げることができる。


これらの攻撃を凌ぎつつ、ツインタニアのHPを削り切れば勝利となる。

雑感

繰り返しになるが、大迷宮バハムートの一連のクエストは、クロニクルクエストとも呼ばれ、メインストーリに匹敵する重要さな会話やイベントシーンが続く。
いわば第2のメインクエストとも言うべきコンテンツ群でもあるが、魅力はそれだけに留まるものでは無い。
何度か挑戦して思ったことだが、FF14の数あるコンテンツにおいても、大迷宮バハムートには特別の思い入れを持っているプレイヤーも多い。あるいは、そうしたプレイヤーと出会うことができる機会が多い。

FF14のサービス開始からの歴史上の位置付

オンラインゲームとしてのFF14のサービスが開始されたのは2010年だが、実は2年後の2012年に一度サービスが終了している。制作陣より、当時の内容がMMOとしてプレイヤーの期待に十分に応えることができなかったという判断のようだ。

『FFXIV』新生へ--激動の2年、そして未来。そのマネジメント手法を吉田直樹プロデューサー兼ディレクターが語る - ファミ通.com

吉田直樹氏講演 『新生FINAL FANTASY XIV:ゲームを作り直すということ』 - ニコニコ動画

上記のインタビュー等を見れば分かるが、要因については様々あるようだ。戦闘のテンポの悪さ、UIや表記に対するシステム面での不満に始まり、バグの利用者に対する運営の姿勢、接続人数を確認する機能の削除など、プレイヤーと制作陣の不信を招くような出来事も複数あったという。
サービス開始間もなく、スクウェアエニックスより制作陣の人事異動が発表され、当時の田中弘道氏から吉田直樹氏へとプロデューサーが交代したことに始まり、その他多くのスタッフが入れ替えられたという。

その後、サーバーの統合、UIの全リニューアル、成長システムの見直し、MAPの全面改訂など、実質1からゲームを作り直すような計画の基、2012年に終焉のイベントとともにサービスは一時終了した。2013年に名実ともに「新生エオルゼア」として新たに開始された。 

www.youtube.com

▲2012年サービス終了時のトレーラー映像。事実上のエンディング映像とも言える内容

大迷宮バハムートは、新たにスタートをきった「新生エオルゼア」の、最初の最難関コンテンツとして実装された記念すべきバトルである。

果たして新生FF14は、壮大なストーリー、バハムートに次ぐ更なるエンドコンテンツ、数々の物語を紡ぎ続け、2021年5月現在までサービスを継続。プレイヤー数は2,200万人を突破し、今なお新たな拡張を続けている。

このように歴史を振り返ってみると、バハムートは、シナリオのみならず、FF14というMMOにとって、文字通り破壊と再生の象徴のような存在なのかもしれない。

今、大迷宮バハムートを遊ぶ意味

先に述べた通り、バハムートに関わるコンテンツ群のほとんどは省略可能であり、制限解除を使えば一人ですら進めることができる。解除をしなくても、アイテムレベルの上がった昨今では、ギミックの半分近くを無視して戦うこともできる。このような最中、わざわざ時間をかけてPTを集め(1日かけても集まらないこともある)、正面から挑もうと考えるのは、事情を知らない初心者か、当時を懐かしむ歴戦の光の戦士のいずれかぐらいかもしれない。

しかし、この歴戦の戦士との出会いこそが、このコンテンツの魅力ではないだろうか。

今回も前回も、初見初心者中心の募集ではあったが、PT内には必ず何人かの経験者、「当時の強さ」を知る人がいた。
極蛮神等の高難易度コンテンツPT募集ではたまにあることだが、慣れてくるとついつい様々なアドバイスをしたり、その気は無くとも初心者に対して指示を出してしまうようなことがある(かく言う私も何度もやってしまった経験がある)。
後になって、何も分からない中で試行錯誤して攻略するという、初心者にとって一番楽しい貴重な機会を奪ってしまったのではないかと反省した。

大迷宮バハムートで出会った経験者の人たちは、控えめで謙虚な人が多かったように思う。
ギミックについても、こちらから質問したことだけに応えてくれ、指示や注意が出ることはほとんどなかった。むしろ、こちらの考えに対して、「こうしてはどうか」、「今の状況だとこのやり方の方がいいかもしれない」などと、尊重してくれる言い方が多かった。
また、情報を出しすぎることでこちら楽しみを奪っているのではないかと心配してくれる人も居た。「この強さこそがツインタニアなんだよ」と、失敗する度に盛り上げてくれる人も居た。

今回、ついに最終フェーズを超えることができなかったが、FF14をやっていて一番楽しいと思える時間は、やはり攻略までの過程なのだということを、改めて感じることができた貴重な経験だった。

ギミックの処理にミスが無かったり、時間当たりのダメージ量が高いといった意味で参考になるプレイヤーもたくさんいる。しかし、過程を楽しむという意味で教師となりうるプレイヤーと出会うことができたのは、大迷宮バハムートという歴史あるコンテンツのおかげだと思う。