【FF14】過去の過ちの継承の物語(暁月のフィナーレ感想その2)

※本稿には暁月の終焉ENDWALKERのストーリーに触れる部分が多くあります。未プレイ、未クリアの方は閲覧に十分ご注意ください。







暁月のフィナーレが持つ物語の完結以上の意味

FF14暁月のフィナーレのメインシナリオは、「新生」から続いたハイデリン・ゾディアークの物語を希望と絶望の闘いとして結実させた。それは10年に渡る冒険で出会ったキャラクター、事件、世界設定の伏線を丁寧に回収した。同時に、長く続くパンデミックで疲弊する私たちに対して、前向きなメッセージを含む、非常に完成度の高いシナリオであった。MMORPGに新たな歴史を刻んだといっても過言では無い。
その感想については2022年1月頃に書いた。

【FF14】暁月のフィナーレの感想_ゲーム体験と現代的ニヒリズム - 遊びと人間


一方でインターネット上の感想を見ていると、ストーリーに対しては様々な疑問を感じる人もいるようだ。
例えばアーテリスのみならず宇宙の全域を揺るがした「世界の終焉」だが、その原因は一人の感情的不安、要するにメーティオンの「メンヘラ」によるものではないか、という感想だ。
また今回のメインストーリーを終わらせたところで、なぜだかモチベーションが下がり、しばらくFF14をやる気が起きなくなってしまった、というプレイヤーもいたようだ。

言うまでも無く、ストーリーを丁寧に追ってきたプレイヤーにとっては、メーティオン一人が終焉の原因であるという、単純な物語では無かったことはすぐに分かる。

しかし、メーティオンやヘルメスらのキャラクターの印象は確かに大きく、彼らに強く感情移入するプレイヤーがいてもおかしくはない。

暁月のフィナーレには、ストーリー上の大きな終着点あるという以上に、FF14の歴史にとって重要な別のテーマが隠れているようにも思われる。
ところが、キャラクターの魅力を中心に描かれるカットシーンや、一人称を軸とするゲーム体験、また複雑な設定を台詞を中心に説明する演出方針により、テーマが見え辛くなっているのも確かだ。
いわば、キャラクター性の強さによってテーマが隠れている。

今回は、それらがゲーム体験としてプレイヤーに伝わりづらかったであろう2つの要因に触れつつ、暁月のフィナーレがFF14の歴史にとって重要なテーマを持っていただろうことを示したい。

その要因とは、メッセージテキストの多さと、一人称視点のゲーム体験だ。


シリーズ最大のボリュームとメッセージテキストの多さ

暁月の魅力でもあり、ストーリーをやや冗談にしている要因の一つがシナリオ中のメッセージの分量だろう。
第65回PLL(2021年7月10日)では、暁月のフィナーレのストーリーボリュームは過去最大であり、収録したキャラクターボイスの量は漆黒ヴィランズの1.3倍であると言及された。
私の場合、漆黒ヴィランズ(パッチ5.0)でシナリオのみに費やした時間はおよそ45時間前後であった。一方、暁月のフィナーレ(パッチ)ではシナリオクリアまで約50時間前後かかった。新生エオルエア(2.0)から暁月(6.0)までの5つのメインシナリオだけでも、ゆうに300時間を超えることになる。
そして、共に冒険をする暁の仲間は7人となり、クエスト間でのヒントトークにも本編では語られなかったキャラクターたちの行く末など触れられている。こうしたサイドストーリも楽しもうとすれば、暁月だけでもさらに数時間はかかる。
入れ替わりや舞台の移り変わりはあるとはいえ、同じ仲間たちとの冒険が300時間超に上るゲームシナリオというのは、他に類を見ないのではないだろうか。

これは、世界観や状況、作中の設定など、ほとんどすべてをキャラクターのセリフで説明する所にも要因があるだろう。
漫画であれば絵や公図、アニメであれば画や動き、映画であれば役者の演技や映像など、言葉とは違う手段でも表現をすることができる。
しかし、FF14はPS4やPS5、windowsやMacなど様々な環境でのプレイヤーに配慮しているため、グラフィックのアップグレードには慎重である。そのため、キャラクターの表情やオブジェクトの質感での表現にはまだ限界がある。
結果として、伝統的なRPGの用に会話テキストに頼らざるを得ない状況もあるのだろう。

仲間との同行、ゲーム内の会話やサブクエストなど、長く楽しんでもらいたいという開発のサービス精神は随所に感じられる。その一方で、本作から登場したデュナミスやアーカーシャ等の重要設定や、ヘルメスとファダニエルの関係性については、テキストだけではうまくイメージができず混乱したままのプレイヤーもいることだろう。

一人称視点の功罪

またストーリーは原則として主人公の一人称視点で物語が進んでいく。これはゲームの没入感を高める一方で、他者の視点を取り入れにくくなるという演出上の功罪がある。

例えば最大の事件である「終末」についても、事の発端から取り得る選択とその結末まで、主人公はすべてを自身の身で体験する。旅には暁の仲間たちも同行するが、物語の行く末を決定する大事な場面では必ず背中を押す役割に留まり、何かある毎に主人公が現場を見に行くことになる。

この手法が演出として最も効果的であったのはエルピスだろう。
主人公は、終末の発端となった事件をエメトセルクらと丁寧に追跡し、過去に起きた終末発生の真実を体験することになる。しかし共に事件を目の当たりにしたはずのエメトセルクらは、ヘルメスの企てにより記憶を失ってしまう。
この一件により、主人公=私たちは、漆黒のヴィランズでエメトセルクらが主人公に対して度々感じていた違和感の正体を知る。同時に、彼らと過ごした時間を「忘れて」、唯一真実を共有する戦友を討ってしまったやるせなさと虚しさを、まるで自分自身のことのように感じる。

この虚しさを抱えつつも、終末を止めるために歩みを止めざるを得ない光の戦士、そしてヴェーネスの姿は、英雄的で感動的である。

一人称視点を存分に生かした素晴らしい展開であったと思う。

反面、視点上の制約もある。
基本的に主人公が遭遇した事件以外は「知らない」ものとして扱われるため、全体像を把握しようとすると状況説明が多くなる。
例えば、暁のメンバーがしばらくぶりに合流する場合、「今まで俺(私)は~で~をしていてな…」という風な説明がしばらく続くのはおなじみだろう。

他者の視点を伝聞でしか情報収集できないため、自分以外のキャラクターへの感情移入が難しくなるのは、一人称視点の弱点ともいえる。

ウルティマトゥーレでの説得力

この傾向が最も強く出ていたのは、6.0最終フィールドであるウルティマトゥーレと思われる。*1
そこで彼らは、かつてメーティオンらが観測した星々の生命らと出会う。彼ら皆、様々な理由で自分たちの生に絶望し、生きることを諦め緩やかな死を望んでいる。
デュナミスが満ちるウルティマトゥーレは、彼らの絶望により生物が住める環境ではなくなってしまっている。

暁のメンバーたちは、彼らと対話する度に一人また一人と肉体を失うが、デュナミスの力を利用することで先へ進む道が作り上げていく。*2
一人になった思われた主人公だが、最後に待ち受けていた存在の絶望との対話、そして託されたクリスタルの力により、肉体を取り戻した暁の仲間たちが召喚され、8人で戦いへ臨むことになる。

非常にドラマチックな展開である一方、物語の進行上の都合を感じてしまう部分でもあるだろう。

なぜならば、ウルティマトゥーレで出会う者らが絶望に至った経験の過程、彼らの精神の変化という2つ重要な要素がセリフでしか説明されないからだ。

主人公の視点では、彼らが経験して生きた喜びや悲しみ、生を諦める結論に至るまでの長い道のりが、彼らの視点によるダイジェストとしてしか現れない。そのため、突然現れて自分たちの都合を一方的に語られているかのように感じてしまう。

彼らへの理解が一面的なため、暁の仲間達とのやりとりも、双方的対話と言うよりは一方通行な主張のぶつけ合いに聞こえてしまう。

ウルティマトゥーレは、「想いを具現化するエネルギー」デュナミスで満たされた空間だ。ウルティマが人間の住める環境で無くなったのは、そこに住む者たちが強い絶望を抱えているからだろう。
したがって、絶望を謳う者への道が開かれていく過程は、彼らの絶望の一つ一つを紐解いていく闘いに他ならない。

しかし、デュナミスに対する理解と、絶望する彼らへの共感がうまく働かないと、ただキャラクターが消えて道ができるだけの「ご都合主義」的展開に見えてしまいかねない。
それは非常に惜しい点であったと思う。彼らの歩んだ歴史などもう少し他者の視点を取り入れる余地があれば、より没入感が深まったのではないだろうか。

 

キャラクター性を重視した演出方針

最大の山場であるメーティオンと相対した際は、過去の伏線も加えた様々な演出も加えられる。
ほとんどの力を失ったにも関わらず、残された魔力で逆転を果たしたエメトセルクとヒュトロダエウス、最後の闘いに駆けつけた暁のメンバー達、それまで宇宙の終焉を淡々と語ってきたメーティオンが見せた感情的で悲しい言葉など、キャラクターの見せ場が次々と展開され、物語の盛り上がりは最高潮へ達する。

この後も驚きと感動を畳みかける展開が続き、最後までプレイヤーを飽きさせない演出は見事だ。
その一方で、メーティオンの真意を見破り、終焉へ至る道を切り開いたきっかけについては、希望があることを論理的に「証明」するという形で表現される。
画面的な華やかさも強い場面ではあるが、この展開を理解するにもエルピスの花とデュナミスの仕様、そしてアゼムのクリスタルの召喚能力など、これまでの重要設定の全ての知識が必要でもある。
それらの理解が不十分だと、突然の展開について行けなくなってしまう者もいるだろう。

公式サイトのLodestoneで各編の「秘話」が公開されている。いずれ暁月についても秘話が追加されるだろう。また、過去のメインシナリオを再プレイする「強くてニューゲーム」というシステムも用意されている。これらを参照しつつ、プレイヤーが各自ストーリーの補完を図れば、初見プレイ時によく分からなかった所も後からより楽しむことができる。
しかし秘話が公開されるまでは時間がかかるし、強くてニューゲームも、前出のテキスト量のボリュームを考えると、安易にリプレイするのを躊躇うプレイヤーもいるだろう。

シナリオの進行の中で自然に設定を復習できる形とならなかったのは残念である。

こうした傾向は、重要な設定の整合性の説明よりも、キャラクターを中心とした冒険劇としての見せ方を重視するという演出方針によるものだろう。その結果、エンディングに向けて大きな感動が高まる一方で、所々の展開が腑に落ちなくなってしまった。

これはゲームのみならず漫画や小説、映画にとっても非常に難しいバランス感覚でもあるだろう。整合性を重視した結果物語が説明的になってしまえば、感情移入ができず退屈になる可能性も十分にある。
いずれにせよ暁月のシナリオの最終局面は、設定説明よりもキャラクター性を重視しているのは確かだろう。声優陣の熱演が素晴らしかったのもあり、最後の最後で設定が置き去りにされてしまった。

その結果として、メーティオンが観測中に絶望を強く感じすぎてしまったことが終末を引き起こした原因であり、彼女の絶望した精神の化身を倒せば終末が止まるかのような描写になってしまった。彼女個人の弱さが主たる原因かのように捉えられてしまうのは、こうした所に要因があるだろう。

しかし、ここで終焉の原因をメーティオンというキャラクター性に還元してしまうと、ゾディアーク・ハイデリン物語に隠れた、FF14のもう一つのテーマを見失ってしまう。これは非常に残念なことだと思う。

メーティオンの役割と人格の二重性

実際には、メーティオンには宇宙の観測及び裁定者としての機能的役割を付与されていたが、ヘルメスとの会話する中で人間のような感情的・人格的側面が育まれていた。
宇宙の終焉を望んだのは観測・裁定としての機能であり、人格的メーティオンの感情は必ずしもそれを望んでいたわけではなかった。同時に、育ての親とも言えるヘルメスを苦しめたくないという思いやりから、星々の観測結果とそれに対する価値判断を報告することを控えてしまった。
彼女の苦しみの本質は、この機能と感情の分裂に由来するものだ。*3

このように考えると、終焉を引き起こした原因をメーティオンのみへ帰することはできない。

古代人らは、機械的な観測機能と有機体的な感情を一人(一つ)の個体に同居させておきながら、その葛藤に気付きケアをすることができなかった。
これはヘルメスの悩みについても同様である。彼が自分の役目と生命への同情について葛藤しているとき、それを共に考えどうしたら矛盾を解決できるかについて言葉を発する者はいなかった。
葛藤があるならば仕事を変えればよいし、同情すべき生命がいても問題が起きる前に処分すれば良いというのが古代人の基本的な考え方であった。
そこには、葛藤しつつ生命を存続させるという中間的妥協案が入る余地がなかった。

また、観測と裁定の権限を同一の個体に持たせることに危険性を認めていなかったのも大きな問題だろう。この場合、観測者が恣意的な裁定を下した際にその結論について抗弁や検討をする余地が失われる。
近代以降の民主主義社会では、こうしたあり方は権力の独占であり、独裁社会へ通じるものとして危険視され、さまざまな予防措置が講じられる。市民の革命権、裁判官・検察・弁護人の独立、違憲審査等である。

18世紀以降の近代刑法や憲法についての基本原理であるが、彼らはこのリスクを十分に認識していたとは言えない。
もし自覚していれば、メーティオンの数体には観測者の役割のみを与え、デュナミスの利用は別の個体に預け、相互に牽制し合う関係を作っていただろう。あるいは、メーティオンがデュナミスを行使するにはメーティオン全固体と12人委員会数名の同意が必要である、といった防止策を巡らせていただろう。

古代人たちはなぜ、こうした基本的な防御策を講じることがきなかったのだろうか。

完全な古代人による未完成な社会という矛盾

それは彼らの知性や精神があまりにも安定しすぎていたためだ。
生物の生死の概念を超克し、死に怯えることもない。自然を支配し、財産を独占することなく共有する。十分な余暇を持ち、問題があれば古代人同士の公平な議論によって結論を出す。天敵となる存在も無く、差別や戦争も無いようだ。
自分たちを脅かす存在もなく、また心に葛藤や悩みを持つような者も居ない。

いわば、弱者を前提とした社会制度や仕組みを確立する必要が無かった。そのために、メーティオンの異変に気がつく者がヘルメスしかいなかったのだろう。

この古代人の社会の対極に位置するのが、エオルゼアとガレマールだ。

ここではアルフィノとアリゼーと共に経験したガレマールの顛末が思いだされる。
エオルゼア連盟からみれば侵略者であったガレマール帝国の内実は、資源が不足し侵略で補う他無い、末期状態であった。暁月で描かれたガレマールの人々は、古い価値観や過去の栄光に囚わており、最後まで対話のテーブルに着くことができなかった。

しかし、ガレマールの人々を愚かだと決めつけることはできない。エオルゼアも同様に、コボルトやサハギン等の多種族を「蛮族」として認定し三国によって支配していた。エオルゼア諸国が協力体制を持てたのは「帝国」や「蛮神」という共通の敵を設定したからでもある。帝国という敵がいなければ、彼らはいつまでも内部の弱小蛮族への略奪から目を背け続けていたかも知れない。

いわば、ガレマールとの戦争を通じて、初めて自分たちの愚かさを反省する機会に恵まれたと言える。ここに至るまで多くの生命が失われ、体の自由を失った者たちもいるはずだ。
このようなエオルゼアとガレマールの顛末を見てきたアルフィノとアリゼーだからこそ、過去の失敗を繰り返さない新しい社会に対して真剣になるのだろう……。

ここでもう一度、古代人が終焉に至った原因は何かという疑問に戻ろう。

海へ還ったエメトセルクであれば、それは自分たちの力と知性を信頼しすぎた古代人の完全性と傲慢と答えるかも知れない。
エオルゼアの人々のように、お互いを殺し合い、自ら死を選ぶほど愚かでは無かったが故に、ヘルメスやメーティオンが抱いた心の矛盾に気がつくことができなかった。エルピスのシステムに、心の迷いがある人間が携わった場合何が起こるのかといった、「もしも」の仕組みを取り入れることができなかった。

ここには完成された知性を持つ古代人と、失敗を繰り返す愚かな人々との対比がある。過ちを繰り返してきたエオルゼアであれば、終末が起きる前に、愚かで弱い人々を前提とした社会の制度やあり方を描くことができるのかもしれない。

古代人である彼らは、完成されていた故に未熟であったのだ。
そして現代のエオルゼアは、争いが絶えず奪い合いを続ける不完全な社会であるからこそ、弱い人を前提とした新しい社会への一歩を踏み出すことができたのだ。

過去の過ちを未来へ継承する物語

ゾディアーク・ハイデリンの物語とは、古代の人間達が犯した過ちを未来の人間たちがどのように引き受けていくかという、歴史反省的なテーマが隠れていることが分かる。

そしてこのテーマは、旧FF14がパッチ2.0で新生エオルゼアとして生まれ変わり現在に至っているという、FF14の歴史そのものであることにも気付かされる。

そうであれば、暁月のフィナーレとは、プレイヤーの期待に応えることができなかった旧FF14の失敗を忘れること無く、あたらしい物語と世界を作り続けた開発陣とプレイヤー達の終着点であったといえる。

過去の2010年にサービスが始まり、わずかな期間で終了してしまったFF14を忘れていけない。そこにできた世界を安易に消費し、無かったことにしてはいけない。それを新しい物語として再生させたのは、諦めずに開発を続けた開発陣と、それを見捨てずにここまでついてきたプレイヤー達の歩みだーそんな声が、クリスタルを通じて聞こえてくるように思う。

「旧世界の生まれ変わりの物語」、これが本作の真のテーマである。それがここでの結論である。

果たして、アーテリス、エオルゼア、暁をはじめとするキャラクター達も、世界の終焉を乗り越え、新しい物語へと一歩を踏み出し始めた。
エオルゼアを生きる新たな世代であるアルフィノ達が、過去の過ちをどのように未来につなげていくことができるのか、それはまだ始まったばかりだ。真価が問われるのはこれからなのかもしれない。patch6.1からは新しい物語が始まる。FF14を作り続ける開発人にとっても、それは同じなのかも知れない。

しかし、新しい物語の始まりに残されてしまった者たちもいる。
次回はこのテーマに関して、「暁月のフィナーレのメインシナリオをクリアした後にモチベーションが下がってしまうのはなぜか」という疑問から考えてみたいと思う。

 

 

 


参考
01 Final Fantasy Wiki、https://finalfantasy.fandom.com/wiki/Dynamis_(Final_Fantasy_XIV)
02 FF14 Online Wiki、https://ff14wiki.info/
03 モンテスキュー (著), 野田 良之 (翻訳).1989.『法の精神』:岩波書店.
04 旧FF14、いわゆる根性版についてはhttps://www.4gamer.net/games/092/G009287/20101112024/など

*1:ウルティマトゥーレの設定等については以下を参照。https://ff14wiki.info/?%E5%9C%B0%E5%90%8D%E3%83%BB%E5%9B%BD%E5%90%8D/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AC

*2:暁月より出現したキーワード、デュナミスについては次のサイトが詳しい。本来デュナミスを使用できないエリディプスが特殊な条件下で利用した経緯についてなど触れられている。Final Fantasy Wiki、https://finalfantasy.fandom.com/wiki/Dynamis_(Final_Fantasy_XIV)
英語版のため必要に応じて翻訳サイト等を利用すると良い

*3:メーティオンの出生や初期の役割についてはhttps://finalfantasy.fandom.com/wiki/Meteionhttps://ff14wiki.info/?NPC%E3%83%BB%E7%B5%84%E7%B9%94/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%B3